浦和御殿

             見沼通船堀  
      
       芝川を渡ると東側の一の関と二の関が見えてきた。

所在地  埼玉県さいたま市浦和区常盤
攻城年月日 2022/5/7
駐車場  無し
現地案内  浦和御殿
 京浜東北本線「浦和駅」北西600m位に位置する常盤公園が御殿跡。場所は此処です。
見沼通船堀
 武蔵野線「東浦和駅」の南東300m位の見沼通船堀公園が起点で見学すればよい。場所は此処です。
コメント 浦和御殿
 ここは徳川家康が鷹狩のため休憩、宿泊した御殿との事。
土塁位は残っていると思ったが庭園の一部か若干周囲より高くなった場所はあるが単なる都市公園となっている。
後で調べると「浦和御殿跡_発掘調査_学習院大学」、御殿跡の面積は現在の公園(100m四方)の半分(70m四方)位の感じで、土塁、空堀付とすると家康の宿泊所としたら狭く、警備に難が有りそう。周辺のも曲輪が有ったのかも。
見沼通船堀
 浦和御殿から近いので見る価値はある。
本日の探索城名 浦和御殿(序に見沼通船堀→木曾呂富士塚→鈴木家住宅)
満足度

浦和御殿  
1:説明板。 2:正面入り口。
3:入口に入り右の方に進むと僅かに周囲より高い土塁らしきがあるが。 4:現在は公園の半分が工事中で完成後も御殿の面影は無さそうです。
見沼通船堀
5:見沼通船堀公園の案内図です。 6:入口から竹林の中を通るので清々しい。
7:公園から出て来て竹林と見沼通船堀に挟まれた道を進みます。振り返り撮影。右奥で工事をしているが二の関の復元工事かな。 8:更に進み振り返り見る。これは西側一の関の復元工事だろう。
9:東西の代用水路の間に有る芝川。 10:トップ写真から更に進み二の関から一関を振り返り見る。
11:この辺りの開発状況
   左図-縄文時代はこの辺り入り江だった。
    中図-1629年に八丁堤を作り南側を新田とした。
   右図-1728年八丁堤の一部を開口して排水路とし、東西に用水路を通し更なる新田を       開発、
12:説明板 13:閘門を使用した通船方法。図を見ているだけで分かる。
14:東側の用水路。この近くの通船堀遊歩道沿いに休憩所が有る。
木曾呂富士塚  
15:説明板。 16:台地のすぐ下を通る用水路を渡ると塚は台地の縁に有る。
17:胎内潜りの出口の様だ、写真16の左奥にも出口はある、 18:塚の脇に神社も有る。
19:神社から塚を見る。5m強盛って塚を造ったが台地の縁に位置するので眺望は良さそう。頂上には火口も設けられたが現在は埋められた。 20:近くの川口自然公園に寄ったがここの沼の柵にトンボの幼虫(ヤゴ)が羽化した。この沼は釣り人が多かった。多分無料。
鈴木家住宅
1:説明板。
2:鈴木家住宅。 3:住宅の裏側に付属建物が有り、それが公開されている。中に説明板が置いて有り色々勉強になる。

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