延岡城 

       
       写真4から「千人殺し」の左奥下を進みここまで来て振り返り撮影。

所在地 宮崎県延岡市東本小路
攻城年月日 2015/5/29
駐車場 二箇所あり
現地案内  延岡市役所の南西300m位に位置する。
場所は此処です。
コメント 城山麓も城の一部で有ったが現在は民家等に変貌している。北駐車場から南側に進むと門が見えて来る。門から登ると目の前に「千人殺し」の高石垣がある。右側は2の丸で左は3の丸となる。2の丸右奥上には小郭があり遊具広場となっている。3の丸奥には岩盤を削り取った搦め手門である石御門がある。ここからの登城路は現在の南駐車場あったらしい。現在は別の登城路が造られている。「千人殺し」の高石垣下の階段を登ると右に郭があり左は虎口で本丸となる。本丸上に天守台と称する詰の丸がある。
城跡は改変著しくまた樹木も多く「千人殺し」の石垣も草に覆われ期待外れだった。
本日の探索城名 2015/5/27
 穆佐城→高岡城→綾城→都於郡城→東之城→日影城→
2015/5/28
 →宮崎城→佐土原城→高鍋城→日知屋城→塩見城→松尾城→
 →西階城→
2015/5/29
 →延岡城→松山塁→高城→穂北城→三納城→西都原古墳
満足度 ☆☆☆

   

1:説明板。 2:延岡城絵図。
3:北側駐車場山際の石垣。この辺りから登ると写真20に着く。 4:門を通り振り返り見る。右側は「千人殺し」の石垣。
5:トップ写真から右に進み2の丸全景を見る。左端は「千人殺し」の脇を登る階段。 
6:写真5の右奥に進むと郭がある。 7:写真6の奥から右に進む写真28辺りの石垣を見る。
8:「千人殺し」下から本丸への登り口。 9:階段を登り右を見ると郭がある。写真5の中央上辺りである。
10:写真9の背面。 11:写真10の中央から撮影。中央左辺りには石垣の折れが有るが樹木でよく見えない。
12:写真11の先は枡形虎口となっている。 13:中央左奥から本丸に入りここまで来て振り返り撮影。ここ辺りに道が3つ有るので(天守台への道と中腹を一回り出来る道)が有り左を進む。
 14:中腹辺りに3階櫓跡がある。右奥下に腰郭がある。 14:写真13に戻ったので天守台に向かう。振り返り見上げると凹みがあり枡形の様である。 
15:天守台へ入る現在の入り口でこの付近はだいぶ改変した感じである。 16:写真16の左から下界を見る。 
17:天守台に入り左に進み全景を見る。 18:写真17の右にある鐘撞堂。 
 
19:写真4の右辺り(門を通り左を見る)から撮影。左石垣上は郭でさらに左に続く。郭は凸部となっている。
20:写真19を進み振り返り凸部の郭を見る。写真3から登るとここに着く。 21:さらに進むと3の丸で中央右に搦め手門(石御門)がある。左は南駐車場からの道で公園化で作られたのではないか。 
22:搦め手門傍による。左は少し高くなり小郭(櫓台)となっている。 23:搦め手門内部を見る。岩を削り石垣を伸ばして堅固にした。 
24:門内部を振り返り見る。 25:写真24の右側。 
26:写真4の門の外側。立派な石垣なのに傍まで民家が迫っている。  27:写真26の奥から先を見る。
28:さらに進み見る。 29:周囲を進むが南側は民家で城山は急峻な斜面(崖)の様だ。南駐車場に来てそこからの登り口を見る。ここから登れば写真21に出る。 
 
30:少し離れた所に内藤記念館があり西の丸(藩主居館)だった。 31:中の庭園。 
32:写真31の奥。 33:写真32の建物裏辺りから東の延岡城を見る。 見えないが中央左辺りが門。
34:写真31の建物裏に行くと石垣がある。ここを登ると裏門跡の杭がある。裏門辺りはこの丘に登る道で破壊されている。 

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