小田原城周辺遺構1

(八幡山古曲輪、早川口、箱根口、三の丸土塁 )

所在地  神奈川県小田原市
攻城年月日 2022/4/30
駐車場 
現地案内  八幡山古郭東曲輪
 小田原駅南西数百mに位置する73号線の交差点「青橋」で小田原城を背に斜め左上に見ると公園らしきが見える。場所は此処です。
・早川口
 小田原駅南西1.5km位に位置する。場所は此処です。
箱根口
 小田原城の南隣に三の丸小がある。その南西隣に門跡の石垣遺構が有る。場所は此処です。
三の丸土塁
 小田原駅南西700m位に競輪場があり、その前のバス通りを道なりに西に進むとバス停「城山4」過ぎた辺りに右側に小峯御鐘ノ台東堀、左側の少し先に三の丸土塁の入口が有る。また南東の小田原女子短大辺りから入る事も可能な様だ。場所は此処です。
コメント ・八幡山古郭東曲輪
 ここから近世小田原城を眺めると直ぐ近くの眼下に天守閣が見える。本来はここ付近の八幡山(北条時代の本丸)に本丸(詰丸)を設けるのが自然な気がするが家康が堅固な城を警戒したと本で読んだ記憶が有る様な。
ここと天守閣の間は鉄道や道路に変わり当時の地形は想像できない。
・早川口
 説明板が無かったと思ったがネットで見ると説明板有る様だ。帰ってから調べると、ここは戦国時代は虎口だったが江戸時代に板橋口に代わったとの事。近くに板橋口が有るし、遺構も虎口に見えず変だとは思っていたが。
 でもここは北条独自の虎口で二重戸張と言う。土塁を二重に並行させ開口部(虎口)から狭い堀状態の通路を通行させ土塁から射かけて殲滅させる仕組みらしい。桝形を細長くしたようなイメージかな。
・箱根口
 昼飯調達の為コンビニを捜していたらここまで来てしまった。石垣が残っているが門のどの部分か分からない。
・三の丸土塁
 土塁も堀跡らしきもあるがここもイメージが掴めない。遺構と当時の状況など比較して絵図で説明板に記載してほしい。単なる公園にしか見えない。
本日の探索城名 小田原城周辺遺構
 八幡山古郭東曲輪→早川口→箱根口→三の丸土塁 →
  → 小峯御鐘ノ台東堀→中堀→西堀 → 御鐘ノ台→稲荷森→
  →山ノ神堀切→城下張出→土塁
満足度 ☆☆☆

八幡山古郭東曲輪
1:北条時代の東曲輪の説明板。 2:交差点「青橋」から東曲輪は見えるので適当に登って行ったが近くには行けるが入れない。張り紙によるとここは国指定史跡として小田原市が購入した土地で東曲輪北堀の一部との事。
3:交差点まで戻って道なりに進むと正面に向かうと登り道がある。 4:登ると広場となっている・
5:写真4の奥に進む。近世小田原城天守閣は眼下に有る様に見える。背面方向は北条時代の本郭でそちらの方が城として適地と思うが。 6:中央に見える東曲輪とお別れです。
早川口
7:早川口に着きました。表示も案内板も有りません。 8:中に入ると奥に凹みが見えます。如何見ても虎口には見えません。帰ってから調べると二重戸張との事。
9:先に進み見る。ここの二重戸張は奥が開口部でそこから侵入した敵に堀状態(左)の通路を暫く進ませその間に左右の土塁から射かけて殲滅させる様だ。 10:奥まで進み振り返り撮影。
箱根口
11:一号線交差点「箱根口」から小田原城に向かうと直ぐに石垣が見えて来る。石垣上に石碑が設置されているが箱根口門跡と掘られている。 12:これだけしか残っていないのでどんな門か想像できない。
13:奥に見えるのは三の丸小学校である。
三の丸土塁
 
14:説明板。 15:ここは小峯御鐘ノ台から3本の尾根に分岐した一番南側の尾根を利用した土塁。背面を少し進むと小峯御鐘ノ台東堀入口がある。
 16:中に入り海を見る。
 
 17:写真16の階段を登り左を見る。右側が城外で小峯御鐘ノ台東堀から続く横堀が有った様だ。切岸が甘いが崩れたのかな。
18:写真17の奥に進み先を見るが大きな凹みが有る。何だろう? 19:写真18の凹み先から進行方向を見る。奥に入口が有る。
 20:写真19の背面を見る。

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