松阪城      

       
   きたい丸南側下から見上げる。右側は写っていないが本居宣長記念館がある。

所在地 三重県松阪市殿町
攻城年月日 1994/10/8   2016/3/30
駐車場
現地案内  駅から訪問できるので出張の折など容易に攻城できる。有名な城なので松坂駅に着けば行き方は容易である。
場所は此処です。
コメント 1994/10/8
 出張の帰りに大和郡山城→松阪城と向上した記憶がある。どこへの出張か宿泊場所の記憶はない。
ここは総石垣で作られており遺構も十分で必見である。
2016/3/30
 今回は御城番屋敷と石垣の修復の様子を見たかったので三重に来たので序に寄った。御城番屋敷周辺は綺麗に整備され雰囲気は良い。ここは現在も子孫の方が居住されびっくりだが一戸分が公開されている。
 石垣は綺麗に修復されてほぼ当時の状態の感じだが天守台の外部(きたい丸)入り口付近は荒れたままである。天守台入り口は本郭内部側と外部(きたい丸)からの2箇所ある感じだが外部側入り口辺りのきたい丸と本郭の境が大分改変され分かり辛くなっている。
 今回の新規写真で編集し直した。
本日の探索城名 1994/10/8
 松阪城
2016/3/30
 田丸城→松阪城→
2016/3/31
 →三瀬砦→三瀬館→赤木城→京城→新宮城→鵜殿城→
2016/4/1
 五箇篠山城→枳城→高城→八田城
満足度 ☆☆☆☆

   

1:御定番長屋の説明板。 2:城の東南隣にある御定番長屋を見る。両側に20戸あり現在も子孫方が居住している。
 3:奥から来て振り返り見る。背面は城跡。 4:内部で結構広い。 
5:庭側から撮影。  6:松阪城説明板。
 
7:撮影位置の写真番号を記入しています。 
  
8:写真3の背面を進むと裏門に着く。 
9:写真8の左側。 10:写真9の中央左端の石垣で本居宣長記念館入り口。後日作られた道だろうがこの奥に埋め門がある。 1994/10/8撮影
 
11:写真8の右側を進み見る。石垣沿いに道がある。 12:写真8の門内に入り見る。右と中央の間に櫓門が有ったのだろう。
13:写真12の右側の石垣。 14: 写真12の奥石垣を右に曲がりすぐに左折して登り右側二の丸から写真13の石垣上(櫓門?)への階段を見る。
15:トップ写真中央の石垣上(写真14の中央奥)から御定番長屋を見る。片側10軒分の長屋なので豪く大きい。 16:写真14の会談を登って右側を見る。撮影位置から中央の石垣まで櫓門が有ったのだろう。
17:写真14の背面の二の丸。 18:写真16の中央辺りから左の隠居丸入り口を見る。背面は二の丸。
   
19:隠居丸入り口から振り返り中央本丸下段部の太鼓櫓台を見る。1994/10/8撮影 20:隠居丸に入り進むと端に櫓台跡がある。櫓台はちょうど写真10の中央上である。右側は本居宣長旧宅がある。中央奥から右に石垣上に沿って進むと埋め門(写真51の本丸から撮影)がある。
21:右奥先の埋め門から着て振り返り撮影。左側はきたい丸東南の石垣で右の建物は本居宣長記念館。 22:写真21の背面に進むと土塁らしきがある。右側端先にはきたい丸南西石垣がある。
23:右側端はきたい丸南西石垣である。 24:写真23の左端石垣先を見る。
25:きたい丸北西側に突き出しの石垣(写真24の突き出し部分)があり中々見事である。 26:写真25の左側腰郭を見る。奥には結構な広さの広場がある。
27:写真26の中央奥の石垣から振り返り見る。背面は歴史民族資料館がある。左石垣上は藤見櫓台である。 28:写真27を左に進み、左本丸下段部から突き出た石垣、右は鐘の櫓台石垣を見る。この石垣の間に助左衛門が有ったらしい。
29:鐘の櫓台石垣を見上げる。 30:写真29背面にある歴史民族資料館。
31:写真28の坂道を進み右に折れる辺りで本丸上段部の石垣を見る。
  
 32:写真31の左に進み振り返り本丸下段部から本丸上段部の石垣を見る。中央右角部が金の間櫓台。
33:写真32背面にある月見櫓台から南西の太鼓櫓台を見る。 34:太鼓櫓台まで進み振り返り撮影。この太鼓櫓は防備上要の様で右下から背面下、さらに左下を進まないと本丸下段部には入れない。写真65参照。
35:太鼓櫓から隠居丸から突き出た石垣を見る。多分ここと奥の石垣に櫓門が有ったのだろう。 36:左端木の下に太鼓櫓脇を通り本丸下段部に入る階段がある。
 37:写真31の中央奥まで戻り右に進み先見る。左石垣上は鐘の間櫓である。
  
 38:写真37の中央右の石垣を見る。この上に鐘の櫓があった。

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