金沢城      

 
 写真1辺りから河北門を望遠で撮影。この門は3の丸への虎口。
 写真2の古図によると写真4の外堀から右端先辺りに水堀が続いていた様だ。

所在地 石川県金沢市丸の内
攻城年月日 2016/4/26
駐車場
現地案内  北陸本線「金沢駅」南東1.6km位に位置する。有名な場所なのですぐ分かる。
場所は此処です。
コメント 昔何十年前に来たことがあるが当時まだ金沢大学移転前であまり見れなかった思い出がある。あれから大学は移転し水堀、櫓や門が復元し全貌が見れると思い来てみた。
水堀、石垣、復元櫓、門等見事とは思うがいまいち満足感が得られない。問題点を列挙すると@外堀が埋められているA内堀も大分埋められ防備上の工夫が見れないB石垣が段階状で高石垣でないC本丸に外側に変な空堀があるD本丸北側の腰郭に入れないE西、北側に土砂削り後日石垣追加F樹木が多く遺構が見づらい。単純に言うと美しくないのかな。今も工事は続行しているがせめて郭内は復元してほしい。
殆どの見学者はこれらを気にしないと思うが100万石の城跡なので日本一の城跡にしてほしいな。しかしながら城跡は広く結構時間が掛かった。
本日の探索城名 2016/4/26
 金沢城→
2016/4/27
 →堅田城→松根城→柚木城→二曲城→鳥越城→
2016/4/28
 →大聖寺城→松山城→虚空蔵山城→和田山城
満足度 ☆☆☆☆

   

1:案内図。撮影位置の写真番号を記入している。 2:後期金沢城の古図です。 
3:黒門(写っていないが右端先)から来て振り返り撮影。奥石垣上は東照宮で有るが現在入れないで工事の駐車場に一部はなっている様だ。
 
 4:写真3の背面を見ると大手門が見える。左先下は写真6の水堀がある。
5:写真4の大手門を降りて振り返り見る。  6:写真5の右側に水堀がある。 
7:写真5の石垣を水堀近くから見る。石垣が2段になって美しくないな。  8:トップ写真の左端先辺りを撮影。この石垣下は外堀からの水堀が河北門まであった。
  
9:河北門辺りから大手門を見る。立派な遺構があるが樹木で見づらい。 
10:河北門傍にある池(水堀)脇を進み振り返り見る。  11:写真3の中央奥右辺りから石垣を見る。 
12:写真11の中央左奥から東照宮のある郭への道がある。写真2の古図からは明確な門は無さそうだがさらに古い古図には下側に門が有った様だ。
  
13:写真12の背面を進むと土橋門がある。写真12の池(水堀)はこの門脇まであった。 
  
14:土橋門を見る。右側下に水堀が有ったらしいが現在は水は無く藪状態の空堀となっている。 
  
15:土橋門を通ると中央左に2の丸への裏口門があり右端に切手門がある。 
16:切手門側右の浅く、狭い空堀を見る。役に立つのかな。
  
17:写真15背面の土橋門を見る。古図によると此処も枡形門になっていた様だ。 
   
18:切手門を通ると正面に「旧第6旅団司令部」の建物があり裏に周り振り返り見る。右側石垣上は2の丸。  19:写真18の背面を見ると右端に門跡、中央にも入り口がある。中央の入り口は後世作られたようだ。
20:写真19の右から降りて行くと櫓台跡が見える。 道は現在木製の階段となっている。 21:少し降りて下を見ると土橋がある。 土橋下は水堀跡である。本来は紅葉橋が架けられたとの事。
22:奥から降りてきて振り返り見る。  23:更に進み振り返り見る。丁度写真25の中央奥辺りで撮影。この辺りの積み方は中途半端で美しくないな。 
24:写真22辺りの公園降り道から見る。 右奥先にも玉泉院丸が続くが現在工事中である。 25:振り返り見る。奥石垣上は2の丸。 
26:写真20の櫓台(中央石垣)を写真21辺りから見上げる。 27:写真24を降りて反時計方向に進み中央奥の写真25の石垣を見る。
  
 28:一旦外に出て時計方向に進む。石垣に沿って水堀が有ったが現在埋められている。
 
29:写真28の左奥の石垣下を曲がり先を見る。中央辺りに鼠多門が有った様だが現在工事中で柵で囲まれ見れない。
30:写真29の左奥先へ進み振り返り櫓台を見る。 
  
31:更に進み石垣を見る。この先は建物が続き遺構は無くなるので引き返す。
  
32:写真28背面先に一部外堀(いもり堀)が復元されている。 
33:写真32中央右奥に復元鯉喉櫓台がある。  34:写真35を脇から見る。 
 
35:鯉喉櫓台と腰郭や本丸石垣を見る。最上部は辰巳櫓台だが明治の石垣改修でにより改変され残っていないとの説明板(辰巳櫓台入り口の)に記載されていた。 
36:鯉喉櫓台裏の腰郭を進む。この辺りの説明板に中央の石垣は明治時代にいもり堀を埋め立てこの辺りの土を取り込み壁面保護の為積み上げたとの事。と言う事は中央石垣上の腰郭は撮影位置まで続いていたという事となる。写真2の古図によると本丸下の腰郭は一段のみである。 37:写真36の先に進み同様な登り口がありそこから入り振り返り見る。 写真2の古図によるとこの左石垣上は本丸となるが実際は本丸はもう少し高いので石垣を崩したのかな。本丸に入っても薮なのでよく分からず。
38:写真37の背面を見る。  39:写真37の右を曲がり見る。奥は薪の丸。 

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