基肄城(きい)
基山に有る土塁(郭)だが横堀(空堀)もあり戦国時代に改修使用したのでないか。
所在地 | 佐賀県三養基郡基山町小倉 |
攻城年月日 | 2014/10/2 |
駐車場 | 有 |
現地案内 | 九州自動車道「基山PA」から西2km位の基山一帯が城跡。鹿児島本線「基山駅」傍の300号線を北西に進み300号線から無名の道に変わり得法院脇を通りそのまま進むと草スキー場が見えてきる。ここの駐車場に停めスキー場の上部に虎口が見える。 場所はここです。 |
コメント | 眺めると緩やかな斜面に見えるが上に行くと結構な斜面となる。虎口を入り右を見ると要所らしき土塁が見える。左は土塁(尾根)が続く。右に進むと「いものがんぎ」と呼ばれる連続堀切があり、要所らしき土塁は郭の様だ。しかも郭の下に空堀跡もある。朝鮮式山城に連続堀切は不要に見えるので戦国時代にこの城跡の一部を利用したのかもしれない。この城は朝鮮式山城なので短時間ではほんの一部しか見れない。 |
本日の探索城名 | 2014/10/2 岩屋城→大野城→基肄城(基肄城水門)→ 2014/10/3 →益富城→戸代山城→秋月武家屋敷(秋月城)→ 2014/10/4 →南関御茶屋→鷹ノ原城→田中城→猫尾城→犬尾城→別所城 |
満足度 | ☆☆☆ |
1:鳥瞰図。現在樹木で覆われ全貌は見れないが鳥瞰図では良く分かる。 | 2:基肄城巡り案内図。 |
3:説明板。 | |
4:駐車場から 基肄城外壁を見る。この場所が草スキー場なので外壁が良く見える。 | |
5:登って行くと虎口らしきが見える。ここは基肄城の門でないので中世か後世に作られたのだろう。 外壁も如何なのかな | |
6:虎口から左側を見る。 | |
7:右側を見ると連続堀切(いものがんぎ)と奥の土塁(郭)が見える。どうも戦国時代の遺構に見える。写真1の鳥瞰図の「いものがんぎ」説明欄に戦国時代の防御施設と記載しているがそれ以上の説明はない。 | |
8:写真7の左を見る。中央下辺りが水門だろう。 | 9:写真7の石碑を見る。 |
10:更に進み先を見る。この先は道はあるようだが荒れている。 | |
11:写真10の背面から写真7を見る。 | |
12:「いものがんぎ」4条の連続堀切を見る。 | 13:2本目の堀切を見る。 |
14:3本目の堀切を振り返り見る。 | 15:連続堀切を超え土塁を見る。横堀(空堀)もある。 |
16:連続堀切を越えて振り返り見る。 | 17:トップ写真の右脇を進み先端方向を見る。先端には展望台が有る。 |
18:先端に進み振り返り見る。細長い碑は「天智天皇欽仰之碑」 。 | 19: 写真18を登り写真20の左脇から堀切を見下ろす。 |
20: 霊霊石(たまたまいし)と呼ばれる巨石があり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子である五十猛(いそたける)が腰を下ろした岩であるとされ、かつてはこの場所に霊霊石を祀る荒穂神社があった。 | 21:トップ写真中央右の登り口上から見下ろす。空堀が明確に分かる。 |
22:写真20の背面から写真9(中央右)の石碑 を見る。 | |
23:写真22の先端から「いものがんぎ」を見下ろす。 |